当店では只今木彫りの熊の買取強化を行っております。
木彫りの熊について豊富な知識を要しているため鑑定を得意としていることや、創業40年の確かな実績をもとにしっかりと鑑定・高額買取させて頂くことをお約束致します。
近年、木彫りの熊の値段(価格)が高騰しておりますのでこの機会にぜひお問い合わせください。
木彫り熊、木彫熊とも呼ばれ、かつては熊彫とも呼ばれた熊を象った木製の民芸品であり、主に北海道で製造され、代表的な北海道土産として全国的に知られております。
産地としては「八雲系」のものと「旭川系」のものが有名で、その歴史は古く、大正13年(1924年)に第1回八雲農村美術工芸品評会が開催されたとき、熊の木彫りが出品されたことから始まります。
初期のものは八雲で造られ、昭和初期には年間5000体ほどの生産があったと言われ、一方旭川ではアイヌの「松井梅太郎」が木彫り熊を最初彫ったのと言われています。
北海道ではお土産さんで売られていることが多いことから、買い取りも高額が見込めないと思われがちですが、木彫りの熊を制作した作家は多数おり、その作品は一般的に高額で取引されております。
よく思い浮かべる代表的なデザインは、四つんばいになったヒグマが鮭をくわえているものが有名ですが、鮭をくわていないものや毛が細く表現されたもの、荒削りだが力強さが表現されているものなど、現在では様々なデザインが存在しております。
木彫り熊が近年注目されております。一体何がそこまで人を惹きつけるのでしょうか?
元の持ち主の世代交代による処分が相次ぎ、価値の高い作品もたくさん失われてしまったと言われております。
ただの木の置物といえばそれまでだが、向き合う中で人はどんどん魅了されていきます。
北海道の自然界の頂点に存在する熊と向き合い、謙虚に熊のことを知り、想い、ノミ一本で彫り上げて作り出される芸術品。
彫る人の魂がこもった作品だからこそ、多くの人を魅了するのかもしれません。
八雲の熊の木取りはスイスの熊と同じく縦取りです。
繊維に沿って彫りやすく、彫ったあとの歪みが小さいというメリットがある反面、足先や鼻先などが欠けやすいのが欠点です。また、熊のサイズが木の太さによる制限を受けるため、大きな熊を彫るのは難しいです。一方、アイヌの熊の木取りは横取りが一般的です。アイヌの這い熊に大きな物が多く見られるのはこの木取りが関係しております。
お土産としての木彫り熊の発祥は八雲町の農民たちの冬場など農閑期の仕事を作るのを目的として、尾張徳川家の19代当主徳川義親侯爵が大正10年~11年にスイスへ旅した際に見つけた木彫り熊を含むペザントアートからヒントを得て、冬季の収入源として生産させた事がはじまりと言われております。
第一号の木彫り熊をモデルとする「這い熊」に加えて、スキーをする熊、学校で授業を受ける熊などスイスの熊を真似た「疑似化熊」が中心で、現在の北海道の木彫り熊のイメージに近い鮭を咥えた木彫り熊もこの頃に既に彫られていた可能性があると言われております。スイスの真似をするだけではなく、堆積した牧草の上にのる熊など、地域の特性にローカライズした作品が、八雲らしさの大きな特徴です。
モチーフ以外にも八雲らしさを生み出すために数多くの作家が試行錯誤を繰り返しました。
十倉金之は、木彫り熊に日本画の手法を導入し、いくつかの八雲熊独自の特徴を生み出し、その一つが「菊型毛」と言われ、肩甲骨の間あたりの盛り上がりを中心として放射状に毛流れを彫るスタイルです。他に、足を側面から見た時、中心線から左右にハの字に毛を分けて彫る手法も開発しました。
毛彫り以外でも昭和初期の段階で既に、「面彫り」という手法も登場しております。また、一定以上のレベルに達している作品には、焼印を加えることで木彫り熊をブランド化し全奥に広める努力をしていたことがうかがえます。
時は経ち、北海道観光客の一番喜ぶ土産品は八雲の木彫り熊と言われるほど、全国的に認知度が高まりましたが、第一次北海道ブームが訪れたこの頃既に八雲の熊彫りを制作者数は減少し陰りを見せ始めていました。同時に、北海道の木彫り熊制作の地位も、旭川などのアイヌに取って代われれるようになったのです。その後第一次世界大戦の影響で需要も激減することになります。
戦後、専業で木彫り熊の制作を続けていたのは、戦時中非国民と罵られながらも制作を決してやめることがなかった茂木多喜治ただ一人でした。
茂木の作品に触れ制作を新たにはじめる者や、木彫り熊の制作方法を継承すべく様々な試みがされました。そんな中木を手斧で割った面を生かす「柴崎彫り」「ハツリ彫り」という新たな手法を開発した柴崎重行が、本格的に熊の制作を再開することになり、後に様々な有名作家が作品を生み出しました。
八雲では農民美術研究会から茂木多喜治の『伝統』と、柴崎重行や根本勲のような『カウンター』という2つの流れが戦前から現在まで存在しておりました。
どちらもそれぞれに誇りを持って、心から楽しみ木彫り熊を愛したからこそ、自由でオリジナリティ溢れる多彩な個性を持つ木彫り熊が生まれたのでしょう。
生活を豊かにするためにスイスから持ち帰った徳川義親の木彫り熊は、時を経て今ではしっかりと北海道に根付いております。
注:買取価格は年数やさまざまな要因よって変動します。掲載金額はあくまでも目安でお願いします。
こちらの商品は旭川のアイヌ民族が製作した戦前の木彫り熊です。
当時の木彫の熊は副業や民芸品として製作されていた為、銘を入れないものも多く存在しました。
アイヌ民族の木彫り熊は、伝統的な木彫技術を活かして、写実性に富み精緻を極めたもの、デザインがユニークで愛らしいものなど、様々な作品が生み出されました。
この度買取させていただいた木彫の熊は、細部まで手の込んだデザインで、ヒグマを知り尽くしたアイヌ民族ならではの素晴らしい出来栄えです。銘がない為、他店では評価してもらえなかったが、依頼者のお祖父様が大事にしていた思い入れの強い作品であり、出来るだけ評価してもらえて大事に扱ってもらえるところへお願いしたいと当店の買取査定にご依頼をくださいました。
厳密に言いますと鮭を咥えていても大変希少な木彫り熊も中にはございますが、ほとんどの場合大量生産で作られたものです。彫りが荒く、ニスでビカビカの木彫り熊は値段がつかない可能性がございます。価値の高い木彫熊は昭和初期~中期に著名な作家が作ったものです。
近年、木彫り熊の良さが若い世代にも伝わり、小物でかわいい物が人気を集めております。押し入れにしまってある木彫りの熊がございましたらぜひ一度お問い合わせくださいませ! → 買取査定フォームへ
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